2010年1月 1日
日常: あけましておめでとうございます
新年あけましておめでとうございます。
このブログも始めてから4年が経過しようとしています。 相も変わらず方向性の定まらないブログですが、私自身の覚え書き、と言う方針は変えずに、これからも続けて行きたいと思います。
このエントリをご覧になった全ての皆様のご多幸を祈念いたします。 今年もよろしくお願い申し上げます。
2009年1月 1日
日常: あけましておめでとうございます
平成21年、西暦2009年となりました。
昨年を振り返ると、世間では大きな変化が次々に起こった一年でした。 私自身に大きな変化はありませんでしたが、周囲の変化を個人レベルから会社のレベルまで、肌で感じる一年となりました。 周囲の結婚や出産など、おめでたい話が多かったことは良かったのですが、取引先の倒産などもあり、やはり世間一般の雰囲気と言えば暗転したと強く感じた一年でした。
しかし新年を迎えるにあたり、この新年の持つ「区切り」の性質に私は期待しています。 大掃除をおこなって一年の汚れを清め、新しい気持ちで新年に臨む、これは特に今年のような状況ではとても良い習慣だと思います。 私も昨年に増して気持ちを高めて過ごして行くつもりです。
今年もよろしくお願い申し上げます。
2007年1月 1日
日常: 新年あけましておめでとうございます
2006年2月頃にirodori.jpn.orgへ移動してから初めての新年を迎えた。 昨年中は公私に渡り色々と変化があったが、刺激的でなかなか充実した一年だったと思う。 コンピュータ関連で言えば、何よりもサイトを移動してこのブログを書き始めたのが大きな変化だ。 来年も書き続けていきたいし、何か新しいことも取り入れて挑戦していきたい。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2006年11月16日
O-P World: 500エントリーに到達
2006年2月5日の初エントリーから、4月22日に100エントリー、5月9日に200エントリーと増加してきたが、このたび何と500エントリーにまで到達した。 100~200エントリーの時期は異常な量のエントリーを投稿していたが、最近落ち着いて、むしろ遅れがちだがまあ良い感じである。
一方で、エントリーにつけているタグは580を超えていて、こういう使い方でよいのか正直なところ悩んでいる。 Movable Typeにはキーワードと言う機能もあるのだが、それとの違いが良くわかっていないし、カテゴリーとも重なっているように思う。 3.3から実装された機能なので、使い始めたころから知っていればもう少し別のサイト設計をしたのだろうが、いまさら仕方ない。 今のところは自分で便利に記録を残しているので、これでよしとしてやっていこうと思う。
2006年5月 5日
One-Poem: 歴代使用PCの紹介(3) Dell Precision 360
- Dell Precision 360
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先代に当たる、Gateway2000 GP7-500がハードディスクの故障で使えなくなったので、スペック不足も解消するべく、Dell Precision 360に乗り換えた。 当時の私は、「とにかくメモリが欲しい!」と思っていて、CPUはPentium 4 2.4GHzなのに、メモリは1GBと言う構成になっていた。 ディスプレイはすでにデュアルディスプレイの構成で使っていたので、とにかくPC本体さえあれば良かった。 それでこのマシンを買ったのだが、その直後、CPUが3GHzでメモリが512MBと言う構成のマシンが、全く同じ価格で販売されていて、しばらく複雑な気分になった。 CPUの換装はお金がかかるが、メモリの追加ならばそれほどコストはかからないからだ。
グラフィックスボードは2D向けのQuadroが付いていて、3Dのパフォーマンスはそれほど良くないようだが、私自身は3Dをあまり使っていないので、それ程気になっていない。 Final Fantasy XIのVana'dielベンチもやってみたが、LOWモードならそこそこの動きをしている。
購入当初はとにかく価格を抑えようと、CD-ROMのみのドライブにしたのが失敗で、後からDVDマルチドライブを買ってしまった。 とりあえずDVDとCD-Rのコンボドライブにして購入すれば良かったのだが、安物買いの銭失いと言うやつである。 付けているDVDマルチドライブはLG電子のもので、1万円程度で購入した覚えがある。 GP7-500に取り付けたCD-Rが2万円以上していたのに、ずいぶんと安くなった。 今はもっと安くなっているから、技術の進歩は偉大だ。
5インチベイは上記の通り2つの光学ディスクドライブで埋まってしまっているが、3.5インチベイも2つあって、全て埋まっている。 1つはもちろん3.5インチフロッピーディスクドライブで、もう一つはメモリーカードリーダーを入れてある。 これはSDカードからスマートメディアやマイクロドライブまで読み込めるのだが、mini SDやメモリースティックDuoが直接読み込めずに不便だったので、結局USB接続のメモリーカードリーダーをもう一つ買ってしまった。
ハードディスクベイも2つあるが、全て埋めてしまった。 1つは標準搭載の40GBのATAのハードディスクで、もう1つはSATAの160GBである。 40GBくらいのハードディスクでは、ゲームをインストールしっぱなしにしていると、どうしても容量が足りなくなるので購入した。 一時期空き容量が1GBを切っているような時期もあったので良かったのだが、現在はMacの方へ音楽や写真などの大部分のドキュメントを写してしまい、案外SATAのディスクは活用されていない。
それと、一人暮らしを始めて以来、ずっとテレビがなかったので、カノープスのMTV2005を買って、テレビも見られるようにした。 しかし、結局テレビを見る習慣が無くなっていたため、まだトリノオリンピックくらいしか見ていない。 そもそもテレビ欄を見ないので、見たいテレビ番組がないという、どうしようもない状態だ。
そうそう、オンボードで付いていたイーサネットコネクタが故障したのか、反応しなくなってしまったので、安いギガビットイーサを購入して使っている。 また、iPodやMacとの接続のため、IEEE1394のボードも差して使っている。 そんなこんなで、拡張できるスペースはほぼ使い切っている状態で、ある意味Mac miniの拡張性能と同じ程度になってしまっている。 排熱が心配な今日この頃である。
2006年5月 3日
One-Poem: 歴代使用PCの紹介(2) Gateway2000 GP7-500
- Gateway2000 GP7-500
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2代目のメインPC。 1999年の4月に購入した。 Pentium III 500MHzに、メモリを512MBと、初代に比べて大幅にパワーアップした。 標準のOSはWindows 98だったが、最終的にはWindows 2000を動かしていた。 Windows 2000は非常に安定していて、良いOSだったと思う。
三菱のDiamondtron M2と標準添付のディスプレイによるデュアル構成を便利に使っていた。 標準でデュアルディスプレイが出来たわけではなく、友人から譲ってもらったMatrox Millenium G400と言う秀逸なビデオカードのおかげである。
現在はEdirolとブランドが変わった、当時のRolandのSC-88Proと言うMIDIシンセサイザーもつなげて使っていた。 SC-88Pro、初代PCで98版の朱紅い雫を快適に遊ぶために購入した。 MIDIは当時は最高の音質を持った音源で、ハードウェアでそれをサポートするSCシリーズはかなり高価だったが、アルバイトで貯めたお金を、躊躇無く投入した覚えがある。 今考えれば、MIDIが威力を発揮したのはせいぜい数年で、今や、楽器演奏を趣味でやろうという場合以外には、無用の長物だろう(当時もそうだったのかもしれないが・・・)。
ちょうど、MINOLTAのDiMAGE 7iと言うデジタルカメラを購入した時期も重なり、コンピュータの楽しみ方がいろいろと広がった時期だった。 インターネットに接続し、自分のサイトを作成し始めたのも、ちょうどこのころだ。 そのため、WWWブラウザをたくさん入れて自己満足に浸っていた。 Internet Explorer、MozillaやNetscape、Opera、Lynx、w3m、JustView、Amayaなどが入っていた。 Lynxやw3mまでならテキストブラウザとして結構知られていると思うが、JustViewやAmayaなどはマニアックすぎるかもしれない。 JustsystemのWWWブラウザがJustViewで、AmayaはW3Cが開発したWWWブラウザである。
GP7-500の使用をやめた理由も故障で、どうも内蔵ハードディスクが限界に到達したようだった。 運良く起動できたときにデータのバックアップを取り、そのままこのマシンはフェードアウトを迎えてしまった。 ハードディスクを換装するという手もあったのだが、ちょうどスペック上、仕事やゲームの利用がきつくなってきた時期でもあり、また、PCの価格も低くなっていたので乗り換えに踏み切った。
One-Poem: 歴代使用PCの紹介(1) NEC PC-9821Ce model S2
- NEC PC-9821Ce model S2
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1993年に購入。 確か8月くらいだったと思われる。 初代9821の後継に当たるモデルで、購入当時は「マルチメディアパソコン」としてもてはやされていた。 OSにはWindows 3.1を選択、等速ながらCD-ROMドライブも搭載し、SCSIも標準搭載するなど、なかなか良いつくりだったと思う。 リンク先のスペック表はたぶん間違えていて、内蔵ハードディスクの容量は120MBだった。 当時はパソコンと言うものがまだまだマニア向けみたいなところがあって、そんな中で、「汎用性があるからパソコンを買う」と言い出した我が両親は、先見性があったのか、単に新しいものが好きだったのか、どちらかだろう。
家族の誰も、パソコンのことはよくわからないし、事前に本を見て決めることにした。 NECにするかFM-TOWNSにするか悩んでいたくらいで、確かその本にはDOS/Vもちらっと紹介されていたのだが、流石にそれを選ぶだけの先見性はなかった。 シェアはNECの98シリーズが圧倒的で、両親の購入目的だった、一太郎も98シリーズで動作した。 いろいろ悩んだ結果、「オールインワンで初心者向き」という文句に乗って、PC-9821Ceを選択した。
機種は決めたものの、どこで買えばいいのかわからなかった。 当時、パソコンを買うなら秋葉原、という感じだったので、私たちも秋葉原に行った。 そして、秋葉原でもCMを良く流していて有名だった、石丸電気に行った。 その石丸電気は家電の店で、パソコンは別の店で扱っているというので、そちらに向かうことにした。 その店舗にPC-9821Ceが合ったので、一太郎5と、小型プリンタを合わせて、50万円くらいした。
後日、品物が郵送されてきたのだが、ロケットと言う会社から送られてきた。 おかしいな、と思ったら、石丸電気の目の前にロケットの店舗があって、私たちは全員間違えていたのだった。 どちらが安く買えたのかはもうわからないが、とにかくきちんと手に入って良かった、と言うところである。
その後、と言っても相当後だが、中古で購入したOverdriveプロセッサ(50MHz、1800円)や拡張メモリ(4MB、2400円)などを付けた覚えがある。 当時すでに新しいマシンを使っていたが、たまにゲームをしたり、BSDかLinuxの勉強がてら、サーバーにでもしようかと思って購入した。 だが、ネットワークカードを2枚挿すとどうもうまく起動せず、そのままになってしまった。
このマシンは2000年問題も見事に引っかかり、DOSのメニューの表示が西暦100年になっていた。 長いこと電源を入れていなかったら、システムタイマーが狂ってきて、時計が思い切りずれている。 ディスプレイも故障して、色がきちんと表示できなくなり、画面も二重に移るようになってしまった。 古いPC-98は出力周波数が低いため、DOS/V用のディスプレイは接続できないので、もうどうしようもなくなった。 いろいろと懐かしいマシンである。
2006年4月29日
One-Poem: プログラミングの思い出
懐かしい本がいくつか見つかったので、思わず自分のやってきたプログラミングについて思い出したので、以下に書き留めておこうと思う。
N88BASIC時代
PC98に標準で付いてくるプログラミング言語を使っていた時代。 主に作っていたソフトはオセロで、コンピュータに手を指させるところまでは至らなかった。 人間同士が一対一でオセロを指せる、何の変哲もないゲームだった。 そのうち、文字だけを使ったロールプレイングゲームなどを作っていたが、ゲームとしての完成度が高かったとは言えないだろう。 でも、当時の私は楽しんでプログラミングしていたし、ゲームも楽しんでやっていたように思う。
TrueBASIC時代
学校の技術の授業でプログラミングをやる、と言うものがあり、TrueBASICの体験版が配られて、それでプログラミングしていた。 TrueBASICはN88BASICよりも構造化したプログラミングを指向していて、わかりやすく、私にもいろいろなプログラムを作ることが出来た。 また、マウスを使うことが前提のプログラミング言語だったので、非常に面白かった。 この体験版はリストが150行までしか保存できない、と言う制限があったのだが、私はそれを回避する手段を見つけてしまい、そこそこ大きなプログラムを作っていた。
また懲りずにテキストRPGを作ったり、不完全なオセロを作ったりしていたが、一番の大物はマウスを使ったお絵かきソフトだった。 これは、マウスの右クリックと左クリックを使って絵が描けるというもので、ブラシの形・大きさ・色(16色)を指定することが出来た。 画像の保存は出来なかったが、私は色々なブラシを作って遊んでいた。 また、原子名の検索をするソフトなども作っていたし、ゲームと言うより、実用的なソフトも作り始めた頃だ。
このころのソースコードは、保存しておいたフロッピーディスクがどこかに行ってしまって、もう見ることが出来ない。 残念だ。
Visual Basic時代
もともと、私がコンピュータに触り始めた時代はWindowsが広まってきたころと一致するが、初めは上記のようにほとんどMS-DOSまでしか使っていなかった。 購入した一太郎もMS-DOS用だったし、はっきり言って、Windowsはほとんど活用されていなかった。 そのうち、TrueBASICにもだんだん満足がいかなくなり、時代はWindowsだろう、と言うことで、Windows用のプログラミング言語としてVisual Basicを使いはじめた。
初め、体験版が雑誌の付録か、どこかに付いていたので使っていたのだが、確か保存が全く出来ないという制限があったので、初めて製品版を買ったプログラミング言語である。 バージョンは2.0だったと思う。 ただし、私がVisual Basicを入手したのは、時代がWindows 95に移行していた時代で、なんだかいつも時代から一つか二つ遅れていた。 確か、時代はC言語だ、みたいな話もあったのだが、そのVisual Basic 2.0は、4.0への無料アップグレード権が付いていたので、こちらの方がお得、みたいな考えなしの状態で購入した覚えがある。
そのVisual Basicだが、まともに活用されていたのかというと、正直言って自信がない。 作っていたソフトはTrueBASICで作っていた、原子名検索ソフトの移植版とか、Windows 95のスタートメニューに近い動きをするランチャーとか、そんなものだった。 そうそう、このころ作っていたソフトは全て「IrodorI」を冠するソフトで、このサイトの名前も、ここに由来してネーミングされている。 このころ一番夢中になっていたのは、このIrodorIシリーズで使うための、共通ライブラリを作ることで、まあ、はっきりいって本末転倒である。 内容は結構充実していたと自負していて、ソフトウェアの起動・終了処理をしたり、設定を一つのファイルにまとめて保存するとか、あるいは文字列処理をする関数とかを含んでいた。
他には、シミュレーションゲームや、RPGの構想を作ってはいたが、いずれも完成には至らなかった。 このころから、構想や設定を作るのが好きになって、段々とプログラミングからは離れていってしまった。 フリーソフトウェアが充実してきて、また、インターネットからそれらが容易に入手できるようになったことも、私のプログラミング意欲を削ぐ要因になったと思う。 今では、どのプログラミング言語もよくわからない状態である。 そのため、このサイトにはJavaScriptもあまり使われていないが、それは上記のような理由のためだ。
2006年4月 9日
O-P World: 連絡先
One-Poemの連絡先は以下の通り。 迷惑メール対策として、文字が挿入されているので、大文字の部分を除いて利用して欲しい。
- mailto:webmasterSPAM@FILTERirodori.jpn.org
2006年4月 1日
One-Poem: 自己紹介
ここで色々書くと長そうなので、項目を列挙し、後からそれに関するエントリーを作っていこうと思う。 ちなみに投稿日がエイプリルフールだが、特に嘘は書いていないのでご安心を(笑)。
One-Poemについて
- 住んでいるところ
- 群馬県 前橋市
- 職業
- 会社員
- 趣味
- このサイトで良く更新されているカテゴリーを参照
- コンピュータ歴
- Windows 3.1の頃から。一太郎はVer.5、Brandishは3だった(謎)。
- ネット歴
- そろそろ7年。新しいことについて行けない。Web 2.0って何?
愛用品
- 車
- HONDA Logo
- コンピュータ
- Apple Mac mini、Dell Precision 360
- 携帯電話
- au by KDDI W41CA
- 音楽
- Apple iPod Photo 60GB + Etymotic Research ER6i
- 登山靴
- zamberlan FUJIYAMA
- 腕時計
- CITIZEN ATT53-2413
2006年2月 9日
One-Poem: 自己紹介シリーズ: 車: HONDA Logo
自己紹介といっても、私自身のことを紹介するわけではない。 私の身の回りのものを紹介していくことで、私という人間のことをわかっていただければ、ということである。 まずはじめに、私の生活になくてはならない車について書いてみようと思う。 そのうち、使っているコンピュータやiPodのことなども書いていきたいと考えている。
私は元々東京に住んでいて、電車を便利に使っていた。 小さい頃から電車とか汽車とかは好きだったし、車は大気汚染するから良くない、などとも考えていたときもあった。 だから、免許を取ったのも二十歳を過ぎてからようやくだった。 しかも、AT限定免許。 時間のある学生のうちに、と言うことで半ば渋々、合宿へ行った。
私がそんな考えだったことからも、想像できるかもしれないが、我が家には車の免許を持っている人間がいなかった。 当然、車は一台もない。 免許は取っても車を買うお金があるわけでもなく、そのままペーパードライバーまっしぐらかと思われたが、ちょうど友達の知り合いが車を買い換える、とのことで、下取り査定0円(!)だった車を安く譲ってもらえた。
はじめは隣に誰か乗っていないと、不安で運転できなかったが、そのうち、走り慣れた道なら一人でも運転できるようになった。 そのうち、初めて走る道でも、とりあえず何とか一人で走っていけるようになった。 私の生活の中で、車の占める割合が少しずつ大きくなっていった。
社会人になって、群馬へ引っ越した。 群馬県は東京ほど鉄道網が網羅されていないため、車がないといろいろ不便である。 逆に、近くに温泉なども多く、車があるとあちこち遊びに行ける。 群馬に来てから、生活の中での車はますます大きくなった。
さて、そんな私が乗っている車はホンダのロゴという車である。 もうすでに140,000km以上走っていて、結構くたびれた感は否めない。 車庫入れの時に何度もボディーやサイドミラーを擦ってしまって、正直言って痛々しい。 小回りがきく車なのだが、私の家の車庫周りはあまりに狭すぎた...。
そして今年、オーナーが私になってから2回目の車検がやってきた。 誰に相談しても「買い換えれば」と言われ、私も中古車市場を眺めていた時期もある。 でも、ものには愛着というものがある。 特にこの車とは、群馬での新生活を一緒にやってきたという、妙な連帯感がある。
そう言うわけで、後2年はこの車とやっていくことに決めた。 いずれにしてもお金がないので、今年はスタッドレスを買うのをやめておくつもりだ。 幸い、私の住んでいるところは雪がほとんど降らないらしい。 早く春になって、チェーンなしでもあちこち行けるようになるのが待ち遠しい。 でも、花粉症だったっけ、私。